征夷大将軍とは、朝廷の勢力に従わない「蝦夷」を征討するための軍隊の総大将のことです。
蝦夷征討のために臨時で置かれた朝廷の官職を「征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)」と呼びます。
蝦夷って何?
蝦夷(えみし)とは、都の勢力に従わない北の人々のことです。
現代とは異なり、古代の日本では東北地方は朝廷に帰属しない異国とされていました。
この頃、東北地方には縄文文化の流れを伝統的に受け継ぎ、集団生活を送る人々が住んでいました。それが蝦夷と呼ばれる人々です。
蝦夷の人々は、族長を代表として血族100人程度で共同生活を送り、狩り・漁・稲作をして暮らしていました。
蝦夷征討とは?
一方、国家の中央集権化を目指していた朝廷は、支配地域の拡大に力を入れており、東北地方も朝廷の支配下に置きたいと考えていました。
そこで朝廷はまず、蝦夷の住む土地に「城柵(じょうさく)」と呼ばれる役所を各地に設置し、東北の開拓に乗り出します。
さらに鎮守府とよばれる軍事拠点を築き、朝廷の影響力を拡大させていきました。
こうした朝廷の動きに、自分たちの土地や文化を守ろうとする蝦夷の人々は、東北各地で反乱を起こします。
これに対して朝廷は一時的な将軍を任命して軍隊をつくり、反乱を軍事力を持って抑えようとしました。
この時に起こった争いを、「蝦夷征討(えみしせいとう)」「蝦夷征伐(えみしせいばつ)」などといいます。
坂上田村麻呂は何をした人?
この時、反乱を鎮圧するリーダーに任命されたのが坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)という人物です。
征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂は、蝦夷の反乱のリーダー阿弖流為(あてるい)を降伏させ、東北地方の平定に功績を残しました。
源頼朝~その後の征夷大将軍
征夷大将軍とは、もともと東北地方の蝦夷を征討するための臨時的な将軍でした。
征夷の意味は「蝦夷を征討する」という意味です。
ですが鎌倉時代に源頼朝が征夷大将軍に任命されてからは、江戸時代まで事実上の武家政権のトップを征夷大将軍と呼ぶようになりました。
征夷大将軍はその後700年にわたって、「将軍様」として日本の歴史に登場し続けることになります。
征夷大将軍がわかる面白い本
征夷大将軍について簡単に説明しましたが、実は詳しく知ろうとすると少し複雑なのが征夷大将軍。
「そもそも征夷大将軍ってなに?」と思った時におすすめの本です。
鎌倉、室町、江戸時代の歴代の将軍についてまとめた一冊です。
鎌倉幕府を開いた源頼朝から、最後の征夷大将軍・徳川慶喜まで700年近く続いた武家政権の頂点にいた将軍様を、面白エピソードと共に紹介しています。